第13回 写真新世紀展2004 公開審査会開催報告
公開審査会 2004年12月1日(水)
2004年度のグランプリを選考する公開審査会が開催され、審査員の先生方が見守る中、優秀賞受賞5名によるプレゼンテーションが行われました。様々な討議の後、「被写体との強い関係性が如実に写し出された写真の力、言葉でいう愛がある。」(荒木氏)、「現実を見据えながら自らのコンセプトに落とし込んだみごとな作品。」(ウエステンバーグ氏)というようなコメントの下に、“準グランプリ”という新しいカテゴリーが設けられ、滝口浩史、川村素代の両氏に賞金50万円と、2005年度におけるニ人展開催の権利がそれぞれにキヤノンより奨励されました。また佳作のポートフォリオから奨励賞3名(天野憲一氏、伊丹豪氏、川村麻純氏)が選ばれ、キヤノンIXY DIGITAL Lが贈られました。



公募の審査にあたって
第27回 審査総評
荒木 経惟 Nobuyoshi Araki
今年は人を撮っている作品が非常に少ない感じがありました。それはやはり現代の若い人たちのコミュニケーション不足の表れではないかと思います。人と対峙すること、人と向かい合うことを避けようとするがゆえに、人間以外の猫や街の風景を撮ることに逃げてしまうのではないだろうか。人との対話を止めてしまった殺伐とした作品。病んだ社会を反映する作品が多いのは少し残念ですね。そういうこともあって今回は、優秀賞、佳作の作品には、ほっとするような幸せ感や愛情の感じられるような人間を被写体にした作品を選定しました。
飯沢 耕太郎 Kotaro Iizawa
今年もまた数に圧倒された。写真の内容が多岐にわたっているので見ているとひどく疲れる。目が慣れないままにジェットコースターに乗るように次の写真に移って行く。その眩暈の感覚は悪くないのだが。何枚かの写真をつなぎ合わせて日々の出来事を綴っていくような「日記」スタイルの作品は、今やよほど強い構成力を発揮しないと選ばれるのは難しくなってきている。この総評でもずっと言いつづけているのだが、なかなかわかってもらえないようだ。個をもう少し大きく、しかも力を込めて社会に開いていくようなアプローチが見たい。自己満足しているだけでは、自分の声はなかなか他者に届かないよ。
南條 史生 Fumio Nanjo
今回、気がついたことは、私写真的な作品が減ったことだ。もっと幅広い主題とスタイルが増えている。一つの小さな特徴は、都市をイメージ化しようという作品が目立ったことだ。今、なぜ都市なのか。一つの時代の反映かもしれない。人間の環境、人間の背景、無機質な舞台、それが今、意識の対象として浮かび上がってきている。
森山 大道 Daido Moriyama
この3年間、突出したイメージを発見したいと思い審査をしてきましたが、残念ながら今回も見つけられなかった。過激を装った作品は多いけれど、装いから突出するのは難しいのか、いくつかのパターンによるイメージごっこの繰り返しが行なわれているようだ。莫大な量、点数の中から選考をするので、視覚的にどうしてもインパクトの強いものに行きがちだが、地味でひっそりとしたいい作品を見落としてるのではないかという、後ろ髪を惹かれる気分が毎回残る。今後は、本当のベーシックな意味での写真の良さを持った作品を期待したい。
ケビン・ウエスティンバーグ Kevin Westenberg
彼、彼女のストーリーを含め、プライベートな物事、日常をテーマに選んだ作品が多いことに大変驚きました。それからとにかく猫がいたるところにいる(笑)。これは荒木さんの影響なのかな?日本は95%の人が日本人ということもあり、 独自のアイデンティティがまだしっかりあるように感じられます。また今回写真を見る限りでは、まだまだ純粋無垢な部分を見つけることができます。私が住んでいたアメリカ、ヨーロッパの都市部では、残念ながら家族は崩壊しつつありシニカルなものに走る傾向があります。でも、日本には、欧米で失われてしまったイノセンスが存在している。応募作品の点数の多さにもこのコンテストに対する期待と熱意を感じとることができます。大切なものを十分理解して、これからもがんばってほしい。
やなぎ みわ Miwa Yanagi
今回初めての審査でしたが、作品を拝見して、技術や完成度は高いのに、欲望は薄いというのか、体温が低く感じられました。でも応募点数の多さから、表現したいという意気込みはすごく感じられてきて、その矛盾がおもしろかったです。被写体との距離感も極端に感じました。離れすぎていたり、近づきすぎて息苦しかったりするような、その二つに分かれましたね。それは写真の一つの特性なのかもしれません。
肉体で距離を図ることは写真では難しいのか、レンズ=目という特性によってそうならざるをえないのか。もしかしたらあえてそこで自分の視点の個性を出そうとしているのか。単純に言ってしまうと焦点の合わせ方がゲーム的で感情が平坦、食卓で温かい食事を食べながら、テレビで遠い国の戦争中継が流れているのをぼんやり見ているような感覚、でしょうか。私は自分の身体感覚が重要で、自分の体のこの手の大きさ、腕の長さの届く距離で捕らえているものに安心感を覚えます。だから、全体の印象としてはちょっと恐しいイメージを感じ受けました。そういう時代なのかもしれませんね。
