写真新世紀東京展2006 公開審査会開催報告
公開審査会 2006年12月1日(金)
2006年度(第29回公募)のグランプリ選出公開審査会が12月1日に東京都写真美術館1階ホールで開催され、優秀賞を受賞し候補者となった喜多村 みか氏+渡邊 有紀氏、清水 朝子氏、高木 こずえ氏、Palla氏、辺口 芳典氏、山田 いずみ氏の6組の中から、高木 こずえ氏がグランプリに決定しました。



公募の審査にあたって
第29回 審査総評
荒木 経惟 Nobuyoshi Araki
実際にデジタルカメラで撮った写真も多いけど、それ以上に「デジタルの気分」に流されているものが多いような気がする。今回は特にそういう写真がずいぶん目立ちました。
デジタルは後でいろいろ調整したり、処理したりできるでしょう。撮るときはとにかくシャッターを押しておいて、後でいじればなんとかなるだろう、色だって変えちゃえばいい。そう考えて撮っていることが多いんじゃないか。それじゃだめだし、油断しているのがすぐバレる。もともと写真というのは、その時その場限りの、一瞬ずつの勝負。だから今回は、デジタルに毒されたり、そういう油断をしたりはしていない写真を選ぼうと心がけました。
それに、技巧やテクニックが表現なんだと思っている写真も目立った。でもそれは大間違い。写真というものは、そもそも被写体自体が表現をしている。写す側は、ストレートに向き合ってシャッターを押せばいい。デジタルでもフィルムでも、何を使っていようが関係なく、肌で見て撮っているようなものは当然選びたくなる。
その点、女性のほうがいろんなものをさらけ出して撮っている感じがする。男性はどうもそうじゃない。逃げて、風景ばっかり撮っている。写真は人間同士の接触で、官能を表現するものだ。そこを忘れちゃいけません。
飯沢 耕太郎 Kotaro Iizawa
応募する時点で気をつけてほしいことがあります。作品のセレクトがちょっと甘すぎる人が多いようです。一つの作品にたくさんの写真を盛り込むケースが多いんですが、それは選びきれていないだけということが多い。枚数の制限がないからといって、やたらに写真を増やしてもダメ。それぞれの作品には、必然的なボリュームというのがあるはず。それを厳しく見定めてください。
サッカーのワールドカップのように、これからは写真の分野でも「世界基準」を意識していかないといけない。そういう観点から見ると、応募作のうちでどれほどが世界で評価してもらえるでしょうか。ちょっと心許ない気がします。もちろん、欧米の作品の真似をしろということじゃない。日本独自の写真表現の形を作ってほしいのです。
応募作を見ると、ブックの作り方やプリントの質とサイズの選択など、「見せ方」についての水準が上がっていると実感します。加えて、作品のバリエーションも増えているように思います。そのなかで自分の強みをアピールしていくのは大変でしょうが、そこを乗り越えていかないと。
今回は、シンプルで軽やかな作品を多く選ぶ結果になりました。視覚的なインパクトで勝負するのではなく、細やかで丁寧なつくりが売りの作品です。ひょっとすると、こうした「小回りの利く」とでもいうべき写真が、世界基準となり得る日本の写真表現かもしれない。そんな予感がしました。
南條 史生 Fumio Nanjo
今回は、画像をデジタル技術などで操作して、画面の一部または全体を変形させている作品が多く見られました。テクノロジーの発達によって、一つの方向性が出てきたということでしょう。こうした新しい流れの上にある作品を、写真新世紀ではどう捉え、評価していくのか。選ぶ側も問いを投げかけられているのだと思います。
一方で、従来のストレートな写真の強さも目に付きました。銀塩プリントが持ついかにも写真らしい色、繊細な線の表現といったものも、当然ながら変わらず高く評価していきたい。テクノロジーを駆使した「アーティスティックな作品」と、「写真らしい写真」。どちらが有利、不利ということはありません。自分に合ったスタイルを選び取るべきでしょう。
写真点数の多い作品は増えていて、良いショットを含んでいるものはたくさんあります。でも、いくら良いショットが入っていても、全体である一つの方向を指し示していないと、どうしても印象が弱くなってしまう。作品を通して一つのメッセージを生み出そうと考えるのなら、何らかの方向をはっきりと決めて、それに向けて撮影をしていくべきでしょう。そんな点にも気をつけて作品づくりを進めると良いのではないでしょうか。
森山 大道 Daido Moriyama
全体的に面白い作品がたくさんあったように思います。やっぱり年々、レベルアップしているんでしょう。じゃあ、どこが上手くなっているかと言えば、写真そのものというよりも、むしろ見せ方です。自分を見せる方法が、かなり進歩している。
日常的に撮影していたような写真でも、ブックに構成するときなんかに、とてもよく考えて作っているのが分かる。「なんとなく出しました」っていうのは明らかに減っています。ただ、そういう傾向は良い面と悪い面がある。見せ方が分かっちゃうと、手練手管でなんとかしようという気持ちも出てきてしまう。それが透けて見える作品もあるかなと感じました。
全体のレベルが上がったのは確かですが、そこから突き抜けている作品というのは少なくて残念です。突出してインパクトを持つものというのは、ちょっと見当たらなかった。やっぱり、どんなテーマや手法でもいいから、とことんやっているものに出合ってみたい。最終的に僕は、その人の欲望がどれほどかというところを見ていますから。その欲望を、どこまで形として視覚化できるか。それが大事だと思う。
結局、欲望の強さを測るのに、写真の枚数の多いものが目についてしまうことになってしまいますね。ただ本当は、たった一枚の写真だけであっと驚かせてくれる作品が出てこないかなと、いつも思っています。
ボリス・ミハイロフ Boris Mikhailov
どのような作品が集まっているのか分からなかったので、審査の会場へ来るまでは、うまく選べるだろうかとちょっと心配でした。しかし、何も問題はなかった。優秀賞や佳作にしたもの以外にも、いいと思った作品はたくさんありました。むしろ、気に入ったものからなんとか絞り込まなければいけないというのが、たいへんな作業でした。
今回は、クラシックなテーマや手法のものは、あまり選びませんでした。どちらかといえば、新しさを感じられるもの、従来の写真作品とは少し焦点がずらしてあるものを積極的に選んだつもりです。
残念なのは、日本人ならば気づくことができるのであろう微細な部分について、私は気づけないことです。感じ取れないものがあったんじゃないかと思うと、とても残念な気がします。
それでも、私から見て「日本らしさ」を強く感じる作品が多かったのも確かです。それはどんな点かと言えば、まずは鑑賞者側に対して、親密に語りかけてくるような写真。それから、いろんなものをうまく混ぜ合わせていく手法です。日本の伝統的な様式と、作者の芸術家的な要素を無理なく重ねることに長けている例がたくさん見られました。
日比野 克彦 Katsuhiko Hibino
老人、病人と看護といったテーマがたくさんあるなと思ったら、数年前にそうしたモチーフの作品が優秀賞を取っていたのだと聞きました。こうしたコンペティションでは、「傾向」のようなものが出てくるのは仕方ないのでしょうが、それを真似るだけではなかなか突破できないでしょう。写真を通してその人のメッセージが出ているかどうか、そういう点のほうが重要です。
写真の力というのは、「見立てる」ことができる点にあります。現実にあるものを、もう一度写し取ってきて、「私にはこれが○○のように見える」というふうに、ものごとを捉えなおす。それができるのが、動く映像とは違うところです。そのあたりをうまく使った作品には惹かれました。どちらかというと、さりげない日常を撮ったもののほうが、メッセージとしては受け取りやすい傾向があったように思います。
ブックの形にした作品もたくさんありましたが、ブックにして見せる意味というものをきちんと考えてほしい。ブックには、ページをめくるという行為があったり、対向ページに写真が入っていたりする。どうしたらブックとして魅力が出るかを練らないといけません。優秀賞に選んだ作品は、ファイルの選び方からよく考えてあって、ブックの力を活かしていたと思います。
