写真新世紀東京展2009 公開審査会開催報告
公開審査会 2009年11月20日(金)
2009年度(第32回公募)グランプリ選出公開審査会が、11月20日に東京都写真美術館1階ホールにて行われました。優秀賞を受賞しグランプリ候補となったのは、Adam Hosmer氏、クロダミサト氏、杉山正直氏、高橋ひとみ氏、安森信氏の5名。候補者全員のプレゼンテーションと審査員との質疑が行われた後、審査員による合議でクロダミサト氏がグランプリに決定しました。



第32回公募 審査総評
荒木 経惟(あらき・のぶよし)
デジタルがダメというんじゃないけど、どれもデジタル的な気分になっているんじゃないかな。ただ省略すればいいと思っているように見えるからね。それと世間の流れで「アート」が流行っているから、テクニックでもってアートにしようとしている。
なんでもない写真じゃ表現の程度が低いとか、ダメだと思っているようだけど、実はそれが一番大切なこと。表現は世間や被写体がしているんだから、写真家はそれを撮らせていただくという気持ちが大事なんだよね。被写体とか時代とかを利用して、自分でこねくり回してつくるのが写真の本質じゃないんだ。
毎年言っているけれど、被写体に対する愛がないというか、どんどん希薄になっているように感じる。死にゆく人を撮っている作品も多いけれど、そんなのはもう止めたほうがいいよ。撮っても、ここには出さない。それよりも、被写体の生き生きとした瞬間を撮ることが、今は大切なんだよ。
テクニックだとか表現だとかより、まず人を感じて、その時を大切にすること。崇高な思想とかよりも、目の前の人やことが一番。そうすれば結果はついてくるんだよ。
みんな先が見えているというか、世の中こんなものだ、という思い込みがあるんじゃないかな。ただし、ずっと撮り続ければ分かってくると思うよ。撮り続けることは、生に向かっていくことなんだって。
飯沢 耕太郎(いいざわ・こうたろう)
選考にあたり、いつも思うのは、自分の認識というか世界観を変えてくれるような作品に出会いたいということ。ただきれいなものを写したものや、方法論を説明するための作品では物足りません。
今回の応募を見ると、全体のレベルが落ちているわけでもないし、表現のバラエティーも豊かだと思う。ただ、選んでいても爽快感はなかった。ということは応募作品に突き抜けたものが少ないということ。ブックでの応募作品を見ていても、最初から最後のページまで、テンションを維持できていないものが多い。妙に自分の可能性を低いところに設定しているのかもしれない。時代の閉塞感の中で、自分を自分で抑えつけているような気もしますね。
若い頃は背伸びする部分が大事だと思うんです。そこに大きな作家になっていく予感というか、可能性を感じますから。だから、もっとカッコをつけて欲しい。ヒントとしては、個人的なこだわりを強く打ち出すこと。たとえば、ひとつのものを徹底的にコレクションしてオタク的なとこまでいくとか。そこから新しい表現が芽生えるかもしれない。
あとは、細やかさを大切にして欲しい。工芸的なレベルに届くほどの質感へのこだわりがあっても良い。その点が日本人のもっとも得意な点ですから。全体的に仕上げの雑な作品が多いのは、残念だと思います。
南條 史生(なんじょう・ふみお)
今年は非常に整理された作品が多かったという印象です。自分の世界をちゃんと把握して作品にしている。
その一方でハメを外す、あるいは暴力的に壊れているような作品は非常に少なかった。イメージを操作しているアート系の作品でも、大掛かりなものはなく、個人のできる範囲でやって、手堅くまとめようとしている。以前はもう少しスケールが大きくて、めちゃくちゃな作品が応募されていました。つまり最近は自分の狭い範囲に収まっているのではないか。
こうした傾向は、ネガティブな世相と関係があるかもしれない。現在は景気も悪くて、社会も暗い雰囲気です。けれどその雰囲気を壊すのではなく、自分の作り出すファンタジーに入っていく。逃避なのかはわかりませんが、そういう傾向があるようです。
社会を開拓できると思う人間は、もっとポジティブな主題をみつけられるはず。少なくとも、そういう元気に前に進む空気は感じられない。だからテーマとして多いのが私的なものになるのかも。たとえば家族、恋人、友人、国内の旅、あるいは自分の作り出した仮想の空間。こうした傾向はもとからあったけれど、特に今年は目立ちました。
作品がまとまっているだけでは弱い。完成度の追求とそれを破るものが同時に必要で、ふたつが揃うと厚みが出る。そのためには、たくさん作ることしかない。数をこなすと、そのバランスが分かってくるんです。さあ、みんな、政治も変わったから、我々も、もっと再構築を考えなきゃ。
榎本 了壱(えのもと・りょういち)
百年に一度の世界恐慌が、写真の世界にまで忍び寄ってきた。そんな侘びしさ、切なさを感じましたね。スナップを撮っていても、おもしろくもない世間が対象だから、画面にもおもしろいものは出てこない。
画像を作るスキルだけではおもしろくなるわけではないし、それでは力を失った情景にしかならない。これは写真を撮っている人のというより、社会の問題でしょうね。
作家の問題としてみると、多くの作品が突き詰め切れていない、沸点に至っていない感じがします。写真ってこんなもんか、という程度で勝負している人がかなり多いと感じました。その結果、小さな共感しか得られないような作品しかできていない。今回の選考で目についたのはひとりの人物を追った作品、ことに年齢を経た女性を対象にした作品が多かったことです。ただ、どの作品も小さくまとまっていて、被写体を通じて作家が大きなメッセージを発するところまでいっていない。
作家が壁を破るためには、圧倒的にクリエイションしていくしかないし、そのクリエイションって、どこか過激な部分がないとだめなんです。これすごい、とんでもないと言わせるまで突き詰める力ですね。
世界におもしろいことがない時代は、世界に寄り添っているだけじゃだめ。世界を変えたい、世界はこんなんじゃないと思う気持ちが必要だと思います。今回はちょっと希望が感じられなかったですね。
蜷川 実花(にながわ・みか)
まず全体的には、似たものが多かったという印象を持ちました。日常の中の不穏な空気感とか、日常の中のちょっと奇妙な瞬間を写したりとか。それと前回賞を獲った作品に似ているものも多かったと思います。賞のために写真を撮っているわけじゃないと思うので、「こうしたら賞を獲れる」と狙った作品は見ていて腰が引けてしまいます。
新しい表現って何だろうと思いながら選考したんですが、結局は感情移入しやすい写真、あまり奇をてらっていないストレートな作品を中心に選びました。あまり新しいものにこだわると本質的なものを見失う、そうあらためて気づきました。新しさより、写真に残したいという気持ちのほうが大切です。
私が応募していた時代よりも、作品の見せ方はずっと上手くなっています。ただ、最後の仕上げの過程や色の出し方、そういったフィニッシュの技術だけで見せているように思えた作品もあります。
圧倒的な表現には出会えなかったという気はします。そんな作品に出会って、私自身が焦ってみたかったというか。みんな本当に上手なんですが、あまり印象に残らない。
今回の応募作品に限らずですが、何か写真家の「写真力」というものが、全体的に落ちているということが気になります。核になるものがあれば、多少仕上げがまずくても、写真はちゃんと成り立つと思います。
今回、選んだ方が受賞を辞退しました。辞退するなら始めから出さないでほしいです。
